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凜 共同代表 「安心して問い、考え、学び、語ることができる場を作りたい」
教諭時代の私、幸せに生きるとは?

 

これまで8年間、中学校で音楽の教諭として勤務してきました。もともと子どもが好きなのもあったのですが、自分自身があまり楽しい中学生時代を過ごしてこなかったこともあり、子どもたちには楽しい中学校生活を送ってほしいという思いから、先生という職を選びました。学校では担任としても、音楽の先生としても、いつも「目の前の子どもたちが将来幸せに生きていけるよう」にと考えて子どもたちと関わってきました。ただ、今振り返れば、当時は私の中で「幸せに生きる」=「社会の常識を身につけて社会に順応して生きる」でした。だから、誰よりも子どもたちに校則やルールを守ることを徹底させ、厳しくしつけをする先生だったと思います。「〇〇しなさい、〇〇しなければならない」というようなことを毎日のように子どもに言っていたことを覚えています。
哲学カフェ、そして「対話」や「哲学」との出会い

 

その教育観ががらりと変わるきっかけとなったのが、代表が主催している「哲学カフェ」への参加でした。勤務6年目の時、働きすぎのストレスや不摂生が原因で関節リウマチになり、休職する羽目に。その療養期間中に、その哲学カフェに参加し、「対話」「哲学」というものに出会いました。一つのテーマについてみんなでじっくり対話をしていく哲学カフェ。そこは、自分の想いや考えをじっくり聞いてもらえて、受け入れてもらえる場所でした。そこに行って、対話をしたり、想いを伝えたりするだけで心が内から温まっていく。はじめて味わう感覚でした。ここでの「対話」は、学校での「話し合い活動」とは全く違う。ここでは、自分のはなった言葉が評価されない、発言することを強いられない、じっくり考えられる、安心して発言できる、じっくり自分と向き合える、自分の本当の気持ちが見えてくる。最初は「立派なこと、正しいこと言わなきゃいけない。正解を言わなきゃいけない。」という気持ちで参加していた私でしたが、気付けば自分の本当の気持ちに向き合えていて「この自分の気持ちを伝えたい」と思うようになりました。同時に、自分で大切にしたい価値観や軸のようなものが見えてきたような気がしました。そんな時に、ふと、自分が中学生の時にこんな場があったら、また違っただろうなあと思ったのを覚えています。
正解は一つではない、学校では?

 

そして、そこは「当たり前」がなく、いろんな物事を根元から疑うことができる場でもありました。正解は一つではない。そう気づかされたことで、「今ある校則やルールは必要?」「勉強は必要?」「不登校はよくない?」など、自分の中から様々な問いが生まれてきました。学校というところを外側から見てみると、校則や生徒指導、道徳などを通して「こういう人になるべき」ということを無意識的に示しているなあと。そういえば、私も先生として、一つの価値を唯一の正解として教えていたなあと。
公教育を問い直したい

 

「幸せに生きる」とはどういうことなのか?そのために公教育はどうあるのがよいのか?まだまだ考えあぐねています。ただ、「○○しなければならない」が積み重なると、自分の気持ちを押し殺してしまい、本当の自分が見えなくなる。自分は何がやりたいか、自分は何が好きなのかが見えなくなる。だから、みんなが自分と向き合いながら、安心して問い、考え、学び、語ることができる場、そして時には立ち止まりじっくり考えることができる場を作りたいと思いました。

 

凜(1991年生)副代表/大分市在住
経歴:慶応義塾大学通信教育課程哲学専攻(在学中) 小学校教諭歴1年 
中学校教諭歴7年 塾講師歴5年
資格:小学校教諭二種免許、中学校教諭一種免許、高等学校教諭一種免許、実用英語技能検定2級ほか
趣味、特技:歌・合唱・チェロ・コーヒードリップ・美術鑑賞・読書・デイキャンプ

ツイッターアカウント:凜

志水 共同代表 「哲学と対話の時代に」
哲学は役に立つし面白い

 

私は大学で哲学を専攻しましたが、行く先々で「なぜ役に立たない(食えない)哲学を学んだのか?」とよく聞かれましたまた哲学が宗教だったり心理学や人生訓のようなものと混同され、ときには怪しいもの扱いされていることに愕然とすることが今でもあります。しかし、西欧ではすべての学問の根底に哲学が基礎付けられています。「哲学は役に立たない」という誤解を解き、充分に役に立つ面白い学であることを社会に知ってもらうことはできないだろうかと考えていました。
哲学カフェ、読書会の立ち上げから釜ヶ崎の訪問へ

 

とはいえ、哲学は即効性を求める現代にとってはやはりすぐに効果が出ないし何の役に立つのかわからない」学問と感じられるかもしれません。今や哲学に近接する文学や詩、歴史学なども有用性を疑問視され、国立大学から文系学部が廃止・縮小されようとする報道まで出てきました。2014年に何人かの同志と哲学カフェ(哲学対話)の場を、そして2016年に純文学の作品を読んでいく別府鉄輪朝読書ノ会を立ち上げたのは、そのような時代へのささやかな抵抗でもありました。
そんななか哲学対話の場は、より社会が抱える課題へとコミットすべく幾つかの方向へと発展していきました。ひとつは「悩める教師のための哲学対話」へと、もうひとつは「哲学ツーリズム@釜ヶ崎」へと。悩める教師のための哲学対話の会は、それまでの哲学対話のなかで手詰まりを感じたときにどうしても日本の教育の在り方に触れざるを得なかったことと、参加者の中で教職に携わる者が公教育の在り方に疑問を持ったり、教育の中に哲学対話を取り入れたいと考えている人が多かったからでした。ここで哲学対話と教育が自分のなかで具体的に結びつくことになります。そして2019年に大分から参加者を募り、大阪・釜ヶ崎で活動するNPOにアテンドを依頼して、哲学ツーリズム@釜ヶ崎を開催しました。釜ヶ崎(西成)は、治安が悪いというイメージを負いながらも、貧困や無縁社会と向き合うケアに満ちた福祉の町でもあり、現地で活動する様々な教育施設、福祉施設を訪問し、そこで出会った目のきらきらしたこどもたちを見て、人間とは何か、教育とはなにかという問いに直面したのでした。
哲学は役に立つ。別府フリースクールうかりゆハウスと「こども哲学の時間」

 

その後、兵庫尼崎で子ども哲学を行うフリースクールぐれいぷハウスを訪問する機会があり、私も哲学対話と教育を結び、困りごとを抱えたこどもたちが学ぶ新しい学校を作りたいと思うようになりました。幸島のお猿さんではありませんが同じ時期に同じ事を考えていた仲間と意気投合し、多くの賛同者、サポーターを得ながら、別府フリースクールうかりゆハウスの開設に到りました。教育界では、「対話的で深い学び」が推奨され、暗記ではなく、読解力や考える力が求められる傾向にあります。誰もが正解を持たない時代を生きるこどもたちにとって、これからの時代の生き抜く力を養う哲学こそ有用な学問と捉え、こども哲学や対話をベースとした教育を展開していきます。

志水 健一(1976年生)共同代表/別府市在住
経歴:法政大学文学部哲学科卒業、映画美学校研究科修了、哲学カフェ大分・別府鉄輪朝読書ノ会代表ファシリテーター、別府市中部中学校外国人子女等教育相談員
資格:図書館司書、チャイルドカウンセラー、温泉ソムリエ
趣味、特技:読書、写真、映画鑑賞、美術鑑賞、グラフィックデザイン、文章を書くこと、朗読(NHK朗読セミナー上級者編修了)、サッカー

 

2014年から街場のカフェや公民館などで哲学対話や読書会といった対話の場を作り、ファシリテーションを務める。近年は小学校や中学校、高校、高専といった学校現場における哲学対話を模索し、フリースクールうかりゆハウスでは凜や生徒たちとともにこども哲学を展開している。令和5年度は別府市教育委員会の社会教育活動の一環として、北部地区公民館での「湯のまち学びのカレッジ」講師を担当。哲学対話をベースとした地域づくりの企画開発、ファシリテーションをする。

 

紹介ブログ

https://kannawadokusho.hatenablog.jp/entry/2024/03/02/001700

別府市立中部中学校での哲学対話

 

https://kannawadokusho.hatenablog.jp/entry/2023/11/25/162150

https://kannawadokusho.hatenablog.jp/entry/2023/11/26/195227

佐伯市の小学校での哲学対話

 

https://kannawadokusho.hatenablog.jp/entry/2022/11/26/195317

大分朝日放送

https://kannawadokusho.hatenablog.jp/entry/2023/10/21/175900

別府北部地区公民館

 

 

【対話の活動HP】

対話と人読書

https://dialogue-oita.jimdofree.com/

 

別府鉄輪朝読書ノ会

https://kannawanoasa.jimdofree.com/

 

別府フリースクールうかりゆハウスの教室の壁に掲げられている鷲田清一氏「対話の可能性」の言葉