こども哲学のルールです。哲学の知識はいりませんが、ルールを守りながら対話を進めていくことでケアの感性も学びます。
対話の風景。しずかに、ゆっくりと対話は進められる。話すのが苦手な人でも、周囲は聴く姿勢をもつので安心して話せるとの感想をいただく。2024.11
こども哲学で使う「コミュニティボール」
対話の場をセーフティなものにするために、守ってほしいルールがある
問う力を身につける「問いの道具」
「こども哲学」はコロンビア大学哲学科教授であったマシュー・リップマンが1970年代にオリジナルの哲学小説を教材にこどもたちと哲学対話を行ったのがはじまりです。批判的思考力、創造的思考力、ケア的思考力の育成を哲学の教育的意義と考えていました。
はじめて考えるときのように。
ようこそ「こども哲学の時間」へ。
ここでは問う力、考える力、ケアする力を楽しみながら身につけていきます。
「哲学(てつがく)」という言葉はあまり聞き慣れなくて、なんだか難しそうというイメージもあるかもしれません。ここでは日常生きている中で誰もが出会う素朴な問いについて考えることを「哲学」と呼びます。たとえば「なぜ学校に行かなくてはいけないの?」とか「校則は必要なの?」「こどもと大人はどう違うの?」とか思ったことはありませんか? これらの問いを(多くの人がそうしているように)流さずに、立ち止まって向き合い粘り強く考えていく行為を「哲学する」と呼びます。
こども哲学おける対話は、ある決められたルールやコンセプトに沿って進められていきます。たとえば「人の話は最後まで聴きましょう」とか「発言に優劣はありません」とか「非難してはいけません」とか。それはこども哲学の時間でも同じです。ルールやコンセプトを守って対話することにより、その場の安心・安全が確保され、臆することなく発言しやすい環境を作っていきます。この体験を積み重ねることで対話的態度が育まれていくことはとても重要なことです。
対話を調整し促していくファシリテーターは大人がします。ただファシリテーターは、テーマに対しての「答え」をもっているわけではありません。こどもたちと同じ共同の探求者です。わたしたちは学校教育において、「問うこと」ではなく「答える」ことばかりに焦点が当てられてきました。こども哲学の時間では、正解を「答える」こととは違う「問うこと」「考えること」を体験していきます。答えのない問いを前に頭がこんがらがって分からなくなることもあるでしょう。それは大きな進歩です。新しい文科省の学習指導要領の「対話的で深い学び」とは、まさに哲学対話によって達成されるものだと私たちは考えます。
はじめて考えるときのように。本来、哲学することはとても楽しい行為です。保護者の方もいっしょに「こども哲学の時間」を体験してみませんか。